花火

毎日暑い日が続きますね。

皆様、熱中症対策、どうか万全にしてお過ごし下さい(*’▽’)

 

今日のブログは、日本の夏の夜の風物詩・花火です(*^^)v

戦後、花火が解禁された1948年8月1日の記念に8月1日が「花火の日」に制定されました。

花火(煙火)は、火薬と金属の粉末を混ぜて包んだもので、火を付けて、燃焼・破裂時の音や

花火の色、形状などを演出するものです。

火花に色をつけるために金属の炎症反応を利用しており、混ぜ合わせる金属の種類によって様々な

色合いの火花を出すことができます。

花火の色・色彩・煙を発生させる火薬の部分を星(ほし)といいます。

多くの場合は火薬が爆発・燃焼した時に飛び散る火の粉の色や形を楽しみますが、ロケット花火やへび花火(へび玉)

パラシュート花火のように火薬の燃焼以外を楽しむものもあります。

花火大会の他、イベントなどの開催を告げるため、また、祝砲の代わりにも使われます。

 

 

●花火の歴史

花火の起源については諸説あり、一般的には花火のルーツは古代中国の狼煙(のろし)とされ

煙による通信手段であり火薬の技術の発達とともに花火が誕生することとなりました。

日本における花火の最古の記録としては、室町時代の公家、万里小路時房の日記に「唐人」が花火と考えられる

「風流事」を行ったという記事が確認されています。

この時代、日明貿易が足利義教によって再開されており、花火も大陸から持ち込まれていたと考えられています。

少なくとも、戦国時代には鉄砲や火薬とともに観賞用の花火が伝来していたとされていて

まもなく日本でも花火が製造されるようになりましたが、以後もキリスト教宣教師や「唐人」といった

外国人の手による花火の記録が多く見られます。

江戸時代になり、戦がなくなると花火を専門に扱う火薬屋が登場しました。

徳川発祥の地である、岡崎を中心とした三河地方は江戸時代

徳川幕府によって唯一火薬の製造・貯蔵を公式に許可されていました。

そのような歴史もあり花火は昔から岡崎を中心とした三河地方に普及発達し

全国に三河花火の名をほしいままにしました。

その名残で、現在においても三河・遠州地方周辺は全国的にみて煙火の製造業や問屋が多く集まっています。

現在、日本で現存する日本で最も古い花火業者は、東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋です。

「鍵屋」を屋号として代々世襲するようになり、現代に続いています。

 

花火の分類

信号または観賞用の煙火は構造や性能によって煙火玉(花火玉)と煙火玉以外の煙火に分類されます。

 

●煙火玉(花火玉)

打ち上げ花火の主流は、打ち上げ時に光が同心円状に広がるものが多く、玉そのものの形も球形をしています。

これに対し、初期の花火は打ち揚げても円状にはならず、花火そのものの形も円筒形のものが多く

破裂途中で色の変化をさせることは困難でした。

明治期に鍵屋十二代目弥兵衛が技術を習得し、以後、円形の花火が多く作られるようになったとされます。

伝統的に打ち上げ花火の『玉』の大きさは寸、尺で表されます。

直径約6.06㎝の二寸玉(2号玉)から直径約60.6㎝の二尺玉(20号玉)、さらに三尺玉(30号玉)、四尺玉(40号玉)まであります。

二尺玉では直径約500m程度、世界最大といわれている四尺玉は直径約800m程度まで広がります。

 

また煙火玉(花火玉)は割物とぼか物に分類されます。

◆割物・・・・・星の部分を割火薬で球体に飛散させ開かせるものです。

中でも星が菊の花のように尾を引いて広がるものを「菊物」

尾を引かないものを牡丹に喩えて「ボタン物」また二重の球状に広がるものを「芯物」といいます。

◆ぽか物・・・・空中でくす玉のように割れて部品が飛び出るものです。

◆音物・・・・・俗に「のろし」「合図花火」等と呼ばれているものになります。

運動会などの様々なイベントの開催の合図に使用されています。

3回連続で音が鳴る「3段雷」と5回鳴る「5段雷」が主に使われています。

◆袋物・吊物・・和紙など薄紙で袋状に作った人形や、パラシュートに吊った煙玉・旗などが

ゆっくりと落ちてくる昼花火です。特定条件下以下の打ち上げが禁止されています。

「袋物」は花火師の平山甚太が1883年にアメリカで特許を取得していますが

これが日本人がアメリカで取得した初の特許となっています。

 

暑い夏の夜を彩る花火。今年は2年ぶりに開催される所も多いようですね。

ゆっくりと愉しみたいましょう(^^♪

 

 

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